2018年10月 by 北の快適工房 こんにちは、北の快適工房代表の木下勝寿です。日増しに秋が深まり、澄み渡った青空に紅葉が映える時期となりましたね。芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋とありますが、皆さんはどのように楽しんでいますか?10月を迎え、いち早く秋の訪れを感じていた北海道は、より彩りを増した景色を楽しむことができます。さて、1年を通して様々な表情を見ることができる北海道には、そのときにしか楽しめない景色や旬の味覚を求めて多くの観光客が訪れます。もちろん北海道各地に様々な観光スポットがありますが、その一つでもある「時計台」を皆さんはご存じでしょうか?130年以上たった今でも札幌市の中心部で正確に時を刻み続け、現在では国の重要文化財にもなっている歴史ある建物です。そんな札幌の街の歴史と共に歩んできた時計台ですが、実は今、改修工事中のため2018年6月1日から10月31日まで休館しています。休館中は作業用の足場が組まれるため外観が見られない状態もありましたが、明治神宮などの工事でも取り入れられていた実物大写真がプリントされたシートが設置され、工事期間中に訪れても楽しめるようにと工夫がされていました。シートが設置された改修工事中の時計台の様子実際に見たことがある方もいるかと思いますが、ビルが立ち並ぶ中にひっそりと佇む時計台は、2階建ての決して大きくはない建物です。しかし、札幌市のシンボルとして多くの歴史が詰まっているこの建物は多くの人々に支えられ今なお大切にされています。時計台は今でこそ、その名前で親しまれていますが、元々は北海道大学の前身である「札幌農学校」の生徒のためにつくられたもので、現在の正式名は「旧札幌農学校演武場」と言います。建設当初は1階に研究室や講義室、2階には入学式や卒業式を行うための中央講堂と体育の授業などで使用された演武場がありましたが、実は授業の開始や終了を告げる鐘楼はあっても塔時計はありませんでした。本来予定されていなかった塔時計の設置を指示したのは、完成式にも出席していた当時北海道の開拓を指揮していた黒田清隆さんだと言われています。アメリカから届いた機械時計は完成の翌年に改修工事を伴って設置され、正確な時刻を刻む時計は札幌の標準時計として指定されるようになりました。そして建設から約25年後、札幌農学校が移転することとなり演武場としての役目を終えた建物は、演武場から時計台と呼ばれるようになります。その後、札幌の成長とともに、現在の場所へと建物ごと移動。図書館として改修され、一時は外壁が濃い緑色だったこともあったそうですが、図書館が別の場所に新設されることとなったため、それを機に創建時の姿に戻す工事が4年間の月日をかけて行われました。これにより国の重要文化財として指定された時計台は、現在に至るまで多くの人々の手によって補修や整備が重ねられ今でもその姿を保っています。時計台の機械時計と同じものも展示されています。また、設置されている機械時計も、当時の姿のまま動き続けている世界的にも貴重なものです。電気を使わず、おもりだけを動力として動いているため、週に2回、人力での巻き上げ作業が続けられており、今でも私たちに時を知らせてくれています。創建から現在に至るまでの130余年、その間には太平洋戦争や地震などの影響で時計が止まってしまうことも何度かあったそうです。それでも今なおその姿を残しているのはたくさんの人々に支えられてきたからにほかなりません。私たち北の快適工房も多くの方に支えられているからこそ、今までもこれからも歩んでいけるのだということを忘れずに今後も努力を続けていきたいと思います。したっけ( 北海道では「それじゃあ」のことを「したっけ」といいます。)、来月もお手紙を書かせていただきますね。北の快適工房代表 木下勝寿